出産に立ち会わないと妻に一生恨まれると思い、立ち合い出産を希望した、ぶるたろうです。
破水したと妻から連絡があった36時間後に、子供が生まれました。
「僕は無能、妻と胎児は36時間ずっと頑張っていた」
・・・立ち合い出産を体験して感じたことです。
妻と胎児の頑張りを一生忘れないために、「出産ストーリー」を僕目線で記録しておこうと思います。
妊娠している妻がいる男性が立ち合い出産に少しでも興味を持ってもらえたら幸いです。
破水した
飲み会の途中、深夜0時をまわったころ、妻から「破水した」と連絡があった。
飲み会を途中で抜け出し、急いで妻がいる病院へ向かうことにした。
しかし、もう電車が無い。金曜ということもあり、タクシー乗り場には酔っぱらいの行列ができていた。最前列で並んでいる人に事情を説明し、すぐさまタクシーに乗せてもらうことにした。
車に揺られること40分間、ずっと携帯電話を握りしめていた。そわそわする。緊張を隠せない。
・・・
病院に着いた。妊婦健診で何度か来ていたが、夜間は勝手が違う。いつもの入り口が空いていないのである。
入口を探すため、10分ほど病院の敷地を徘徊した。徘徊している間に、子供が生まれるかもしれない。そう思いながら、自分を責めた。
「何で夜間入口を事前に調べなかったんだ。」
陣痛室へ到着
病院の中へ入ることができた。看護師さんへ案内してもらった場所は、陣痛室であった。
ドクドク、ドクドク…。室内では、胎児の心音が響いていた。
妻は、偽陣痛と戦いつつも平常だった。
最初は、間歇的に突っ張る程度だったのが、だんだん強度と頻度を増していく。子宮の有痛性の定期的な収縮が10分周期となった時点で陣痛発来という。ただし、いったん陣痛が発来したもののその後、陣痛が消失した場合は、その陣痛は偽陣痛であったとされる。
※引用:Wikipedia
妻も胎児も頑張っているにも関わらず、僕は酔っていた。そして眠くなっていた。
助産師さんに「まだ本陣痛は始まらないから、一度ご帰宅しましょう。」とお話があり、その日は妻の実家に宿泊させてもらうことにした。
・・・
次の日の昼頃、妻から「そろそろかもしれない」と連絡があったため、病院に向かった。
妻は本陣痛を起こすため、病院内で運動していたらしい。1階から8階まで続く階段を10往復も。その裏で、僕は二日酔いと戦っていたことが腹立たしかった。
数時間経過しても本陣痛が来ないため、妻の運動に僕も付き合うことにした。
体調が優れないのに頑張っている姿を見て、本当にスゴイなと思った。
夕食時に、助産師さんから再度帰宅した方が良いとアドバイスをもらい、帰宅することにした。
家に帰るも、眠れない
家に帰りついた。妻と胎児のためにできたことは何一つないのに、疲れている。
布団に入っても、全然眠れない。緊張していたんだと思う。
朝3時。破水から27時間が経過した頃。「本陣痛がはじまった」と、妻から電話があった。とても苦しそうにしていたのが電話越しでも伝わってきた。
急いで身支度し、外に出るが、タクシーの姿は無い。真夜中の住宅地だ、姿が見えなくて当然である。
携帯電話でタクシー会社を探し、待つこと5分。タクシーに飛び乗り、いざ出発。「タクシーの電話番号くらい登録しとけよ」と自分に言ってやった。
7時間のマッサージ
陣痛室に着いた。妻は、2~5分おきに痛みと戦っていた。
腰をさするように、妻から指示があった。僕は言われた通り、腰をさすることにした。
「ここじゃない。もっと上。」
「ここじゃない、もっと左。」
痛みが和らぐ箇所が毎回違うらしい。
「強すぎる。優しくして。」
強弱が大事らしい。
「さすらないで、テニスボールを使って。」
腰をさするだけでなく、テニスボールで押すのも良いらしい。
本陣痛の痛みは僕には分からないが、とにかくマッサージし続けることしかできない。
たかがマッサージでも、途中で投げ出したくなるくらい辛かった。何より、妻の姿を見るのが辛かったのだ。
どんなに仕事が忙しくても耐えてきたし、途中で投げ出したいと思ったことは無かったのに。
・・・
本陣痛が始まり7時間が経過した頃、妻は痛みが増してきた。体力を消耗していた。佳境に入っても、僕は”声をかけること”と”マッサージ”しかできなかった。
助産師さんが「そろそろ、分娩室に移動しましょう」と言った。
その言葉を聞いて、僕は泣きそうになった。もうじき、妻は痛みから解放されるし、子供が生まれようとしているのだ。
分娩室の雰囲気は、一生味わえない
妻は痛みに耐えながら、分娩台に座った。助産師さんたちが分娩台を囲った。僕も分娩台のそばに立った。
妻は、大きく息を吸ったところで止めて、「ウーン」と大きくいきんだ。何度もいきんだ。
もう死んでしまうんじゃないかと思うくらい、辛そうであった。役に立っているか分からないが、僕は妻の手を握りしめた。
「赤ちゃんが顔を出してきましたよ。あと少し。」と助産師さんが言った。
妻は偉大である
いきむ。ただ、それを繰り返した。
ほとんど体力は残っていなかったに違いない。それでも頑張っている。
・・・
産まれた。赤ちゃんが元気よく泣いた。
※本記事の全画像は、「ブラックジャックによろしく(著作者名:佐藤秀峰)」を引用しております。
産まれた直後、妻が僕に言った。
「一緒に居てくれて、ありがとう。」
ずっと辛い思いをしていたのに、そんなセリフが出てくると思わなかった。僕が同じ境遇にあったら、言えただろうか。
体験して学んだ「教訓」
これから立ち合い出産をする男性の方は、僕のようなヘマをしないことを祈願しております。
- 出産が近くなったら、いつ生まれるか分からない。飲みに行くのは控える。
- 病院の夜間窓口を把握しておく。
- タクシーですぐに駆け付けられるように、タクシーの連絡先を登録しておく。
- 妻だけでなく夫も、長期戦になる。夫も十分に休息が必要。
- 陣痛で苦しんでいる妻から「腰をさすって欲しい」と言われるが、言われた場所を素直にさする。
- 妻が食べやすいもの(ゼリーなど)を買っておき、妻が食べたい時に食べさせてあげる。
最後に:出産に立ち会って良かった
立ち合い出産は、本当に大変でした。
体力的にも相当しんどかったですし、分娩室は怖かったです。そして、自分の無能さを痛感しました。
しかし、妻と子供の頑張っている姿を見て、「妻と子供を大切にしないといけない!」と心の底から思えるようになりました。
「立ち合い出産をしたい」と思える男性が増えることを心から願います。
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